単純に見た時に”キた”ので、お勧めだが、アートの文脈では、”抽象的な感情を抽象的なもので表現”するといった抽象絵画の文脈からである。

抽象絵画の歴史は以下に詳しい。1900年代初頭に起こったリアルに書くことから、精神性を描く時の表現の変化。美術史における非常に重要なターニングポイントである。それらを主導したのが、ドイツで作られたBlue Rider Group。それらはGerman Expressionism(ドイツ表現主義)と呼ばれてメンバーは創始者のKandinsky、Marc等からである。これらは歴史事実でしかないですが、文脈としてKerstin Bratschを理解するための前提となる。

https://www.youtube.com/watch?v=OddPuDu4P2M

アーティスト名 + cirisizmで調べると批評が出てくる。彼女はドイツ出身で、現在はニューヨークで活動を行っているようだ。アートの文脈においては、どこ出身か?というのは、どこで活動しているかよりしばしば重要で、作品のバックボーンとして語られることが多い。わかりやすい例で言えば、日本人の村上隆が、アニメとか浮世絵の文脈で語られている(語らせている)が挙げられる。

彼女の作品はやはりというべきか、抽象絵画の初めにまで遡って批評されている。ドイツ、精神性、抽象画、カンディンスキーの理念は芸術における精神的なものにあったので、たしかにこの作品からもそれは感じる。

https://art.newcity.com/2015/11/05/review-kerstin-bratscharts-club-of-chicago/

 

なにか自然法則を、人の解釈を加えて、再構築した、といったような感じだろうか。ガン細胞を顕微鏡で見ると皮肉なほど美しいのだが、それを見た時の感覚に似ている。

論理的(批評的な)文脈で作品を語るのは、やっぱりどこかで無理があるというか、作品の思想とか哲学まで迫るのはいいことだし必要なことだと思うが、あくまでそれはサンドイッチでいえば(なんでサンドイッチ…)パンの部分であって具ではないと感じる。ただやはりいい作品というのは、歴史の検証に論理の部分からも、感覚の部分からも耐えうる感じがする。