Zio Ziegler

ジオジグラー Zio Ziegler

キュビズム(cubism)、古典主義(classicism)、未来派(futurism)にも影響されているようで、サンフランシスコ在住でまだ非常に若い。2015年にはVansとのコラボレーションを記念して、日本にも来日しているようだ。

彼の絵の特徴は、パターンの繰り返し、巨大化、ゆがみなどで、即興で書いていくようだ。俗に言うサイケの技術と個人的に称しているものたち。英語だとそれぞれ、repeated motifs of primitive patterns, gigantism, and distortion。

また、Arte Sempreという服屋も持っているようだ。2015年にはVansともコラボレーションしていたりとアパレル関連にも興味があるのだろうか。

https://artesempre.com

http://www.zioziegler.com/

https://vimeo.com/251197675?title=0&byline=0&portrait=0

ORI TOOR

2018Illustratorのスプラッシュ画面に出てきたイスラエル在住のイラストレーター、なんと呼ぶのだろうか?プロフィールをみたらもともとが2Dのアニメータらしいが、2Dのアニメーターの能力はイラストレーター能力を包括しているので、まぁどっちでもいいか。

http://oritoor.com/projects

グラフィックデザイナーの仕事単価がWEBやメディアアート系のものに奪われている中で、プログラム関連があまり得意でないグラフィックデザイナーの人にとってはモーショングラフィックというのは一つに残された道なのだろうか?アート的な技を2Dに落とし込んで、掘り込みレベルもそこまでではないので、なんといったらいいのだろうか...ちょうどいい感じだ。

ORI TOOR

dogu

縄文時代のアート

縄文時代といえばなんといっても土器である。この縄文土器というのは、なんでもあの岡本太郎がが1952年に『みずゑ』誌上で「四次元との対話――縄文土器論」を発表するまで、縄文土器や土偶は美術品ではなく工芸品という扱いを受けていたそうだ。

http://www.kaen-heritage.com/doki/taro/

考古学者の小山修三氏によると、元々は煮炊き、貯蔵、食器など、単純な狩猟採集段階から脱した縄文社会の生活のかたちを作ってきたが、時代が進むにつれてそのような実用的な使い方から、アートとしての、つまり精神世界への触媒として土器が使われ始めたようなのである。

確かに、ただ実用的というだけであるならば、このような装飾はむしろ邪魔であるはずで、一説によると調理する過程においてその魔法的な力から、この土器に神が宿っていると考えられ、それを表現したのではないかというものがあった。

しかい実は私はこの土器よりも心惹かれるものがある、それは土偶である。アフリカのマスクなども好きなのであるが(どこかで取り上げる)、この土偶にも同じようなパワーを感じる。多産や豊穣を願い、儀式に使われていたそうで、あちら側とつながる為に作られたものだろう。

Georgia O’Keeffe

ジョージア・オキーフ Georgia O’Keeffe

儚さと底知れぬ暗黒さをキャンパに合わせ持っているとでも表現したらよいか。本人は女性アーティストと呼ばれることを嫌ったそうだが、女性というより、女を感じる。年代が面白く、1887-1986の生涯なのでなんとダリより15年以上早く生まれている。というのもそれくらい、絵と年代のギャップがある。

現代アートの中の女性画家として、前衛芸術がまだほとんど知られていなかったアメリカの時期に、花や都市の風景、メキシコの風景などを抽象的に描いていて、アメリカモダニズムの母と呼ばれるようになった。

実は草間彌生がジョージア・オキーフの絵に影響を受け、手紙を出したところ、オキーフ本人から直筆の返事をもらったこともアメリカ行きのきっかけとなったそうで、のちにオキーフは、ニューヨークで生活に困窮していた草間の援助のために、自身の唯一の画商だったイーディス・ハーバートを紹介している。

https://www.ggccaatt.net/georgia-o'keeffe/

 

tadanori-yokoo

横尾忠則 Tadanori Yokoo

この人はまだ生きてるのが不思議な感じがしている。自分らの世代にとってはまったくタイムリーな人ではないのだが、日本のグラフィックとかアートにおいてかなり異質な存在である。なんでもこの独特な感性は、戦前の子供のカードゲームの影響を受けているようで。

インタビュー内のこの部分は作り手なら、そこにいけるかどうかは別として誰もがもつ疑問か?

私は本当に何かを単に仕事としてしなければならないのか、それとも私がそれを芸術作品としてやろうとしなければならないのか、という疑問が残っていました。

彼は元々グラフィックデザイナーだったというのは有名な話のようですが、そこからアーティスト、画家として生きようと決めたのは、MoMAでピカソを見たときだったとのこと。

また小さい頃から霊感があったようで丹波哲郎との対談で以下のような事を言っています。宇宙人だったようです、納得しました。

横尾 僕は夢の中で、1970年ですから、いまから19年前くらいですか、その頃からUFOの夢をどんどん見るようになって、宇宙人が現れたりして、一度、3人か4人の宇宙人に、ここの首のところに器具を入れられたんですよ。僕は夢の出来事だと思って、気絶したんです。それが実は、コンタクトが始まってから明かされたんですけれども、われわれと通信しやすくするための波動の送受信装置だったんですよね。

https://vimeo.com/197895879?title=0&byline=0&portrait=0

Kevin McGloughlin

Kevin McGloughlinさん、動画と静止画の間が見えてるような感じか。流行風な感じの裏に、なにかそのような哲学を感じる。アイルランド出身でアートに若い頃から興味があったようで、フィルムとアニメーターの監督をしているよう。他の作品もおもしろい、アートを感じる。

https://vimeo.com/kevinmcgloughlin

https://www.kevinmcgloughlin.com/about/

https://www.youtube.com/watch?v=nVlCGZn6Qog

ムーディーマン デトロイトの謎

Resident AdvisorがMoodymanについて解説している。デトロイトシーンにおける重要人物の一人。なんでもインタビューをほとんど受けないので、ほとんど映像が残ってないとのこと。

本人曰く自分を説明する簡単なものとして、ブラックスプロイテーションを挙げている。

また動画の最後では彼を偉大なアーティストに位置づけている理由として、そのミステリアス性にあると結論づけている。

彼のインタビュー内での発言で印象的なものといえば、「みんなDJなんかに気を取られすぎだ」リスペクトしてるのは、デトロイトシーンに多大な影響を与えたというMojoというデトロイトのラジオDJらしい、ちなみに二人ともプリンスのファンのようだ。

https://www.residentadvisor.net/features/3124

KERSTIN-BRATSCH

カースティン・ブラッシュ Kerstin Bratsch

単純に見た時に"キた"ので、お勧めだが、アートの文脈では、"抽象的な感情を抽象的なもので表現"するといった抽象絵画の文脈からである。

抽象絵画の歴史は以下に詳しい。1900年代初頭に起こったリアルに書くことから、精神性を描く時の表現の変化。美術史における非常に重要なターニングポイントである。それらを主導したのが、ドイツで作られたBlue Rider Group。それらはGerman Expressionism(ドイツ表現主義)と呼ばれてメンバーは創始者のKandinsky、Marc等からである。これらは歴史事実でしかないですが、文脈としてKerstin Bratschを理解するための前提となる。

https://www.youtube.com/watch?v=OddPuDu4P2M

アーティスト名 + cirisizmで調べると批評が出てくる。彼女はドイツ出身で、現在はニューヨークで活動を行っているようだ。アートの文脈においては、どこ出身か?というのは、どこで活動しているかよりしばしば重要で、作品のバックボーンとして語られることが多い。わかりやすい例で言えば、日本人の村上隆が、アニメとか浮世絵の文脈で語られている(語らせている)が挙げられる。

彼女の作品はやはりというべきか、抽象絵画の初めにまで遡って批評されている。ドイツ、精神性、抽象画、カンディンスキーの理念は芸術における精神的なものにあったので、たしかにこの作品からもそれは感じる。

https://art.newcity.com/2015/11/05/review-kerstin-bratscharts-club-of-chicago/

 

なにか自然法則を、人の解釈を加えて、再構築した、といったような感じだろうか。ガン細胞を顕微鏡で見ると皮肉なほど美しいのだが、それを見た時の感覚に似ている。

論理的(批評的な)文脈で作品を語るのは、やっぱりどこかで無理があるというか、作品の思想とか哲学まで迫るのはいいことだし必要なことだと思うが、あくまでそれはサンドイッチでいえば(なんでサンドイッチ...)パンの部分であって具ではないと感じる。ただやはりいい作品というのは、歴史の検証に論理の部分からも、感覚の部分からも耐えうる感じがする。

Larry-Levan maestro

Maestro クラブカルチャーの礎

Boiler Roomで1970年代NYCでのダンスミュージックシーンの起源などについて当時の人々が語る、ドキュメンタリーMaestroが見れる。Amazonで日本語版買うと今中古で8000円位するので必見。現在も第一線で活躍するDJの若かりし頃の写真が出てきたり、Keith Haringが実は当時Paradaise Garageに来ていて踊っている映像が出てきたりする。アンダーグラウンドで起こったこの革命は、当時の人々の話を聞きそれを後世に伝えていくという方法でしか残らない、メディアは違えど、何世紀も前から続く文化の継承方法。

https://boilerroom.tv/recording/maestro

今では伝説的な箱PARADISE GARAGE / THE  LOFT/ THE GALLERY。これらのイベントは、完全口コミで広まり(当時インターネットなんてないので当たり前だが)完全招待制でパスを持っている人しか入ることが出来なかった為、入口の前には入りたくても入れない人々がたむろしていたらしい。また当初は、今よりも差別されていたゲイの人々の場であったが、不思議とフロアではゲイもノーマルも関係ない空間が広がっていたようだ。

当時の人々が、自分たちで工夫しながら、場を創り上げていく過程が面白く、今のクラブカルチャーの原型がこの時に既に出来あがっているのに驚く。サウンドエンジニア、照明、内観等、インタビューから当時のこだわり、大事にしていたものが伝わってくる。

基本的にはLarry Levanのトリビュートにもなっているのだが、そのLarry LevanもリスペクトしていたDavid Mancusoの偉大さについでも多く語られている。(『Life And Death On The New York Dance Floor, 1980-83』という本でDavid Mancusoについていろいろ書かれている )

またこのイベントの終焉はエイズによるオーナーの死という。Francois Kがインタビューで当時のエイズの蔓延について語っている。

尖ると排他的になりがちだが、お金持ちも、貧乏人も、ゲイも、ノーマルも年齢も音楽のジャンルも超えてすべてを受けいれてくれる、そんな場所だったに違いない。

 

Matthew Herbert 音楽が観るものに変わった

この動画ではマシュー・ハーバートが自身のクリエイティブ・プロセスについて語っている。この人のDJをサマソニ深夜のHCANで体験した時は、本当に驚いた。様々な名義でいろいろな曲を発表しているが、DJプレイ時は、もっぱら躍らせることに特化していて、踊っているというよりも、踊らされている、宇宙を浮遊させられて4次元に突っ込み、最後には無といったような体験。だが何か、虚無感というか、悲しみというか、そんなものを感じ取ったのを鮮明に覚えている。

この動画で、まず最初にハーバートは自身のパーソナル・マニフェストを紹介している。これはいわゆるnot to do list、やることリストならぬ、やらないことリストだ。ちなみに、Youtube動画の設定ボタンから翻訳が見れるが、なぜか日本語がある(あるのは現時点で、英語、ドイツ語、そして日本語だけ)。Abltonのブログもなぜか日本語があり、熱心な代理店等があるのだろう。

以下は実際のマニフェストで、動画の中で詳しく説明されているが、自身がより発展していく音楽ツールの中で、オリジナリティを保つ為に作ったようだ。また、ツール自体には秘密はないので、それを使って何をするかが重要との事を伝えるメッセージでもあると言っている。私は皮肉屋なので、公開しても決して誰も作れないだろ?という挑戦状であるように感じる。(また後半で言及しているが、公開していない(するべきでない、する必要がない)、隠しマニフェストがあると言っている)

https://matthewherbert.com/about-contact/manifesto/

 

何をやるかと、何をやらないかを両方持つことが、動機づけとしは一番強い。なぜなら実際問題、選択しなければならないケースに出会う確率が高くなるからである。

信条、ドグマ、イデオロギーなんて言葉でもいいが、それらを明文化したパーソナル・マニフェストなんてものを、MOMAにまで展示されているようなアーティストが共有するのは非常に稀な気がする。勝手にアーティストの思想や哲学のオープンソースとでも呼ぼうか。

このような共有というか、発表していくプロセスに個人的に賛同する理由の一つは、目や耳が肥えていき、インプットの質がアウトプットの質を完全に超えてしまうと、アウトプットが出来なくなる人が多くなると思っているからである。プロセスでも些細なことでもいいので発表していくのが重要だと思っている、この文章だってそうだ。ハーバートもこの中で述べているが、自分のアウトプットが高まるプロセスを自分で発見、逆にアウトプットが出来なくなるプロセスを発見することも重要である。

さて他にもこのインタビューで気になったものが多くあるが、以下、簡易ではあるが紹介する。

・音楽をプロセスとして捉えている
・音楽が観るものになった
・生計を立てる必要性と芸術は明確に区別する必要があると思っている(マニフェストを棚上げする時もある)
・白人にはかなりの特権がある、そいうった特権に疑問を投げかけるのも責任の一部だと考えている
・音楽は今ではシャンプーみたいなものになってしまった、髪を何度も綺麗にする、それだけ
・芸術において、まず自問すべきものはこの作品の目的は何か?これにどういった効果を持たせたいのか?これは何を表現しているのか?それを表現するのに最適な素材は何か?
・なんらかの方法で世界を変える音楽に興味がある

今回のマシュー・ハーバートしかり、他のアーティストしかり、一般的にアーティストは右脳思考で論理的に説明下手なのではないかと思われているふしあるが、そんなことはない。突飛なものを作っているものほど実は非常に論理的で緻密な思考のベースの上で踊っている。

もともとこの動画を知ったきっかけはAbletonのサイトなので最下部にリンクを張っておく。

https://www.ableton.com/ja/blog/matthew-herbert-personal-manifesto/