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嶋本昭三 Shimamoto Shozo

パフォーマンスがやはり目についてしまうのですが、私の勝手な解釈ではプロセスも含めて身体をあっち側にかなりまかせるタイプのアーティスト。その"とき"の状態によって、かなり作風も違うように感じる。いわゆるネイチャーというか自然を感じる。

フレッドトマセリ

フレッド・トマセリ Fred Tomaselli

1956年、アメリカのサンタモニカにて誕生し、ニューヨーク・ブルックリンに拠点を置く。ペインティングとコラージュが主で、彼の作品は、精密で巧妙な幾何学パターンを用いることが多い。トマセリの絵画には、花や鳥、蝶、腕、脚、鼻などの切れ端、雑誌などと一緒に、薬草、処方薬、幻覚薬などを。自分の作品を幻想的な宇宙であるかのごとく作っているとのこと。

フレッドトマセリ

hiroyuki-doi

土井宏之 Hiroyuki Doi

元々ヒッピーだそうで、独学で絵画を学んだそうな。その前職は料理人なんだという。手法で言えば、黒のペンで小さな円を無数に描いて書いていく(手法に名前とかついてるのかなぁ...)、GOMAもこの手法だった、草間彌生も。この書き方の人に共通するのが、「絵を描かずにはいられない」のだという。つまり、描かないとストレスが溜まる状態にあるようだ。

こういうなんというか、微細なアートで抽象的なものは、「ぬんぐっ」って感じであっちの世界にはいる感じで、入り口が狭い感覚がある。入ったあとは広いんだけど。

この色を使わないと点もなにか平等を感じる、入り口にバイアスがないというか。

Rudolf Hausner

ルドルフ・ハウズナー Rudolf Hausner

ウィーン幻想派のリーダー的存在だったようだ。他の創立メンバーには、エルンスト・フックス、ヴォルフガング・フッター、アントン・レームデンアリク・ブラウアーなどがいる。彼がメインの代表との創立メンバーの一人であるこのpsychicをなんと略せばいいのやら、幻想?超能力..?。現代でいうところのスーパーリアリズムとでもいおうか..書いてある内容は現実離れしているが、その描写力はそこに存在しえるかのようだ。ダリとかもそうだけど、現実にないものを描くにあたって逆に現実と見間違えるほどのリアルな描写が必要とされるというか。写実力がある一定レベルを超えないと、先に進ませないといったような気迫と同時に、ハウズナーの場合は、どこかユーモアも感じる。

このあたりのオーストリア一派は惹かれるんだよなぁ。

Hausner has been described as a "psychic realist" and "the first psychoanalytical painter

富樫の念獣はきっとこれに影響を受けてる。

Rudolf Hausner-2

Abdul Mati Klarwein

アブドゥル・マティ・クラーワイン Abdul Mati Klarwein

サンタナのジャケットから知った、アブドゥル・マティ・クラーワイン。作品はなんというか、シュルレアリスムという感じだが、結構直接的なサイケデリックな手法を使ったりもしている。このサイケデリック手法は、結構無理やり扉をこじ開ける形なので、荒療治というか、ナチュラルにある程度まで進んでいる人が見ると、嫌悪感も抱くはず。ケミカルかハシシかみたいな感じだろうか。

サンタナ以外にもマイルス・デイビスなどのジャケットなども手がけているようだ。死後なおこのようにサイトを誰かが更新しているという形はおもしろい。現代のアートの文脈ではおそらくartsyに登録すらされてないので、まったく切り離されているんだろう。

http://www.matiklarweinart.com/artworkgallery.php

Zio Ziegler

ジオジグラー Zio Ziegler

キュビズム(cubism)、古典主義(classicism)、未来派(futurism)にも影響されているようで、サンフランシスコ在住でまだ非常に若い。2015年にはVansとのコラボレーションを記念して、日本にも来日しているようだ。

彼の絵の特徴は、パターンの繰り返し、巨大化、ゆがみなどで、即興で書いていくようだ。俗に言うサイケの技術と個人的に称しているものたち。英語だとそれぞれ、repeated motifs of primitive patterns, gigantism, and distortion。

また、Arte Sempreという服屋も持っているようだ。2015年にはVansともコラボレーションしていたりとアパレル関連にも興味があるのだろうか。

https://artesempre.com

http://www.zioziegler.com/

dogu

縄文時代のアート

縄文時代といえばなんといっても土器である。この縄文土器というのは、なんでもあの岡本太郎がが1952年に『みずゑ』誌上で「四次元との対話――縄文土器論」を発表するまで、縄文土器や土偶は美術品ではなく工芸品という扱いを受けていたそうだ。

http://www.kaen-heritage.com/doki/taro/

考古学者の小山修三氏によると、元々は煮炊き、貯蔵、食器など、単純な狩猟採集段階から脱した縄文社会の生活のかたちを作ってきたが、時代が進むにつれてそのような実用的な使い方から、アートとしての、つまり精神世界への触媒として土器が使われ始めたようなのである。

確かに、ただ実用的というだけであるならば、このような装飾はむしろ邪魔であるはずで、一説によると調理する過程においてその魔法的な力から、この土器に神が宿っていると考えられ、それを表現したのではないかというものがあった。

しかい実は私はこの土器よりも心惹かれるものがある、それは土偶である。アフリカのマスクなども好きなのであるが(どこかで取り上げる)、この土偶にも同じようなパワーを感じる。多産や豊穣を願い、儀式に使われていたそうで、あちら側とつながる為に作られたものだろう。

Georgia O’Keeffe

ジョージア・オキーフ Georgia O’Keeffe

儚さと底知れぬ暗黒さをキャンパに合わせ持っているとでも表現したらよいか。本人は女性アーティストと呼ばれることを嫌ったそうだが、女性というより、女を感じる。年代が面白く、1887-1986の生涯なのでなんとダリより15年以上早く生まれている。というのもそれくらい、絵と年代のギャップがある。

現代アートの中の女性画家として、前衛芸術がまだほとんど知られていなかったアメリカの時期に、花や都市の風景、メキシコの風景などを抽象的に描いていて、アメリカモダニズムの母と呼ばれるようになった。

実は草間彌生がジョージア・オキーフの絵に影響を受け、手紙を出したところ、オキーフ本人から直筆の返事をもらったこともアメリカ行きのきっかけとなったそうで、のちにオキーフは、ニューヨークで生活に困窮していた草間の援助のために、自身の唯一の画商だったイーディス・ハーバートを紹介している。

https://www.ggccaatt.net/georgia-o'keeffe/

 

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横尾忠則 Tadanori Yokoo

この人はまだ生きてるのが不思議な感じがしている。自分らの世代にとってはまったくタイムリーな人ではないのだが、日本のグラフィックとかアートにおいてかなり異質な存在である。なんでもこの独特な感性は、戦前の子供のカードゲームの影響を受けているようで。

インタビュー内のこの部分は作り手なら、そこにいけるかどうかは別として誰もがもつ疑問か?

私は本当に何かを単に仕事としてしなければならないのか、それとも私がそれを芸術作品としてやろうとしなければならないのか、という疑問が残っていました。

彼は元々グラフィックデザイナーだったというのは有名な話のようですが、そこからアーティスト、画家として生きようと決めたのは、MoMAでピカソを見たときだったとのこと。

また小さい頃から霊感があったようで丹波哲郎との対談で以下のような事を言っています。宇宙人だったようです、納得しました。

横尾 僕は夢の中で、1970年ですから、いまから19年前くらいですか、その頃からUFOの夢をどんどん見るようになって、宇宙人が現れたりして、一度、3人か4人の宇宙人に、ここの首のところに器具を入れられたんですよ。僕は夢の出来事だと思って、気絶したんです。それが実は、コンタクトが始まってから明かされたんですけれども、われわれと通信しやすくするための波動の送受信装置だったんですよね。

KERSTIN-BRATSCH

カースティン・ブラッシュ Kerstin Bratsch

単純に見た時に"キた"ので、お勧めだが、アートの文脈では、"抽象的な感情を抽象的なもので表現"するといった抽象絵画の文脈からである。

抽象絵画の歴史は以下に詳しい。1900年代初頭に起こったリアルに書くことから、精神性を描く時の表現の変化。美術史における非常に重要なターニングポイントである。それらを主導したのが、ドイツで作られたBlue Rider Group。それらはGerman Expressionism(ドイツ表現主義)と呼ばれてメンバーは創始者のKandinsky、Marc等からである。これらは歴史事実でしかないですが、文脈としてKerstin Bratschを理解するための前提となる。

https://www.youtube.com/watch?v=OddPuDu4P2M

アーティスト名 + cirisizmで調べると批評が出てくる。彼女はドイツ出身で、現在はニューヨークで活動を行っているようだ。アートの文脈においては、どこ出身か?というのは、どこで活動しているかよりしばしば重要で、作品のバックボーンとして語られることが多い。わかりやすい例で言えば、日本人の村上隆が、アニメとか浮世絵の文脈で語られている(語らせている)が挙げられる。

彼女の作品はやはりというべきか、抽象絵画の初めにまで遡って批評されている。ドイツ、精神性、抽象画、カンディンスキーの理念は芸術における精神的なものにあったので、たしかにこの作品からもそれは感じる。

https://art.newcity.com/2015/11/05/review-kerstin-bratscharts-club-of-chicago/

 

なにか自然法則を、人の解釈を加えて、再構築した、といったような感じだろうか。ガン細胞を顕微鏡で見ると皮肉なほど美しいのだが、それを見た時の感覚に似ている。

論理的(批評的な)文脈で作品を語るのは、やっぱりどこかで無理があるというか、作品の思想とか哲学まで迫るのはいいことだし必要なことだと思うが、あくまでそれはサンドイッチでいえば(なんでサンドイッチ...)パンの部分であって具ではないと感じる。ただやはりいい作品というのは、歴史の検証に論理の部分からも、感覚の部分からも耐えうる感じがする。